🌳”命の木”blog

日々を幸せに生きていくための探究と探検の旅エッセイです。気付き、学び、感動を綴っています。

「🌳命の木」 幸福の探求  “気付き” パラダイム転換‼️

f:id:treeoflifet:20210814074355j:image一昨日の朝、我が家のバルコニーを掃除してたら、目の前の大きな木(クリスマスツリー)に💕

 

おはようございます。

皆さん,「パラダイム転換」って,お聞きになったことがありますでしょうか?

パラダイム転換」とは,その時,当然と考えられていた認識や思想などが,劇的にに変化する事を言うそうです。

 

私がこの言葉に初めて出会ったのは,何年も前,『7つの習慣フランコリン コヴィー著を読んだ時です。

この部分です。

 

ある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄で体験した小さなパラダイム転換を、私は忘れることができない。乗客は皆、静かに座っていた。ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、またある人は目を閉じて休んでいた。すべては落ち着いて平和な雰囲気であった。

 そこに、ひとりの男性が子供たちを連れて車両に乗り込んできた。すぐに子供たちがうるさく騒ぎ出し、それまでの静かな雰囲気は一瞬にして壊されてしまった。

 しかし、その男性は私の隣に座って、目を閉じたまま、周りの状況に全く気がつかない様子だった。子供たちとはといえば、大声を出したり、物を投げたり、人の新聞まで奪い取ったりするありさまで、なんとも騒々しく気に障るものだった。ところが、隣に座っている男性はそれに対して何もしようとはしなかった。

 私は、いらだちを覚えずにはいられなかった。子供たちにそういう行動をさせておきながら注意もせず、何の責任もとろうとはしない彼の態度が信じられなかった。周りの人たちもいらいらしているように見えた。私は耐えられなくなり、彼に向かって非常に控えめに、「あなたのお子さんたちが皆さんの迷惑になっているようですよ。もう少しおとなしくさせることはできないのでしょうか」と言ってみた。

 彼は目を開けると、まるで初めてその様子に気がついたかのような表情になり、柔らかい、もの静かな声でこう返事をした。

 「ああ、ああ、本当にそうですね。どうにかしないと……。たった今、病院から出て来たところなんです。一時間ほど前に妻が……。あの子たちの母親が亡くなったものですから、いったいどうすればいいのか……。子供たちも混乱しているみたいで……」

 その瞬間の私の気持ちが、想像できるだろうか。私のパラダイムは一瞬にして転換してしまった。突然、その状況を全く違う目で見ることができた。違って見えたから違って考え、違って感じ、そして、違って行動した。今までのいらいらした気持ちは一瞬にして消え去った。自分のとっていた行動や態度を無理に抑える必要はなくなった。私の心にその男性の痛みがいっぱいに広がり、同情や哀れみの感情が自然にあふれ出たのである。

 「奥さんが亡くなったのですが。それは本当にお気の毒に。何か私にできることはないでしょうか」

 

 一瞬にして、すべてが変わった

ここです。私がこの本を読んで,一番強烈に心に残っている部分です。

 

パラダイム転換‼️‼️

 

実は、昨日,ちょっとした「パラダイム転換」が私に起こりました。

 

人生相談というコーナーがあり,それを聞いていた時のことです。

 

相談役お二人は,なぜか非常に辛めのコメントでアドバイスするのですが,,、,、

 

昨日の相談は,こうでした。

 

問題を抱えた母親がこう尋ねます。

「長男夫婦には,次々に生まれた子供がいるのですけど,,,、盆正月,少なくとも年2回は必ず帰ってきて顔見せて,と言ってるんですけど,なかなか帰ってきてくれません。最近は,全く帰って来なくなりました。どうしたらいいのでしょう」

 

さぁ,もしみなさんが,相談員だったら,なんと言うでしょうか?

私には,全く想像もつかなかったのですが,,,,

 

相談員は,彼女にこう尋ねます。

「お母さん,そのお孫さんは何人で,何歳ですか?」

母親が答えます。「はい,四人で,8歳,6歳,4歳,2歳です」

そして相談員が,言うのです。「おおーお見事‼️,,,、」

そして,続けて,,,,、「あのですね,,,,おかあさん⁉️    そんな,小さな子供をたくさん抱えて毎日忙しい思いをしている若い息子家族に,毎年,何回も帰ってくる様に強いるのは酷なことだと思いませんか?

それもお嫁さんの実家じゃなくて,夫の実家に,,,,、

むしろ,『大変だから,無理しなくていいよ,,,帰れなくても大丈夫だよ,,,、』って言ってあげるのが,愛情に溢れた優しい母親の言葉ではありませんか?」

 

その後,母親は,言葉を失いました。『ああぁーーーああぁーーー』と言う言葉が微かに聞き取れました。

 

「それが、愛情に溢れた優しい母親の言葉ではありませんか?」

 

この母親の状況で,そのアドバイスが正しかったのかどうかは、実際のところ私には分かりませんが,少なくとも,私には,「パラダイム転換」が起こりました。

この母親がどう感じたかは、実際のところ私には分かりませんが,少なくとも、私には,「パラダイム転換」が起こりました。

 

とかく、私たちは、自分の認識のみで、物事を考え、感じ、表現してしまいます。そしてその思いを、身近な相手に押し付けてしまいがちです。。良かれと思って言った言葉でも、、、、、、身近な相手にとっては、非常に迷惑な事も、、、、これは、日常茶飯事あり得る事です。

 

私たちは、相手の心を推し量ることの難しさにいつも直面しています。

 

この母親に与えられたアドバイスによって、自分目線のみの認識ではなく相手の立場に立った見方に方向転換、ショッキングな「パラダイム転換」が、少なくとも私には起こりました。

相手の立場に立って、物事を認識し愛情深く見れる様になれたらどんなに良いだろうかと思います。

 

そして、私は、どうだろうか、、、、、私は、どんな母親だろう、、、、子供達を強いていないだろうか、、、自分の気持ちを押し付けていないだろうか、、、

どんな妻だろうか、、、、、どんな隣人だろうか、、、と自分を振り返り、想いをはせた1日になりました。

 

こんな聖句が頭をよぎります。

 

7:1 人をさばくな。自分がさばかれないためである。
7:2 あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量りが与えられるであろう。
7:3 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
7:4 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
7:5 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
—マタイによる福音書 7:1-5(『口語 新約聖書日本聖書協会

 

聖書 ルカによる福音書6章31~36 (旧約 エゼキエル書16章6)

31 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。
32 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。
33 また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。
34 返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。
35 しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
36 あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい